新庄まつり
1756年から始まった
宝暦の大飢饉により、多数の餓死者を出していた新庄
当時の藩主だった戸沢正諶(まさのぶ)
が活気と希望を持たせるたる為に
行なったとされる祭りが
新庄まつりの原型とされています。
町ごとに一台山車(やたい)があり、
其々歌舞伎の場面やら、物語の場面など、
をモチーフに、飾り付けられ競い合います。
紅花を京都に卸していた関係で、
京都の着物やら文化が色濃く出ていて、
それはそれは豪華絢爛です。
8月24〜26日の期間で行われております。
この日付は長年変わることなく続いています。
過去には観光客を呼び込む意味で
第何周目と言う日程でと意見がだされたそうですが却下されています。
因みにこれは去年の宵祭り
白虎隊の日
1868年(明治元年)
自刃をした日です。
白虎と言うからには
青龍、朱雀、玄武
がいるのかとしらべたら、
あったんですね。
青龍隊 36歳〜49歳までの構成で
国境守備隊
朱雀隊 18歳〜35歳までの構成で
実戦部隊
玄武隊 50歳〜56歳までの構成で
予備隊
白虎隊 16歳〜17歳の構成
四神から名前を付けてるんですね
中学の修学旅行が会津だったので、
この話と飯盛山には行きました。
白虎隊は街が燃えているのを見て悲観して
自刃したと言われていますが、
実際は、戦いを好まない者、戦って玉砕する者
と意見が分かれ、
何れにしても負け戦で生き恥を晒すならと
自刃したと言うのか本当らしい…
時代なんですね
今日から私は夏休み
行って来ます!